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フジ子・ヘミング 魂のピアニスト |
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2000年4月 |
定価 : 1,760
円 (本体 : 1,600
円) |
ISBN 9784-7630-0019-4 C0095 |
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愛と悲しみ、絶望と喜び。幾多の困難に遭遇しながらも聴く人の心に届く音楽を弾き続ける魂のピアニスト、フジ子・ヘミング。波乱の人生を綴った初の書き下ろし。
「もう人前で、大勢の聴衆の前で弾く事はないのだ、そう思っていた。 わたしは、音楽を通していったい何を伝えたいのだろう。多くの人たちの声を聞いて、自分が日頃何を伝えたいのか、ようやくわかった気がする......」 (本文より)
四六判 上製本 216頁
フジ子・ヘミング(本名 Ingrid Fujiko v.Georgiz Hemming) 東京藝術大学出身のピアニスト大月投網子とロシア系スウェーデン人画家/建築家ジョスタ・ジョルジ・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。 幼少の頃に帰国、小学校3年生の時すでにラジオ出演し天才少女とはやされる。 母の手ひとつで東京に育ち、10歳でレオニード・クロイツアーに師事。 17歳でコンサートデビューを果たす。 青山学院から東京藝術大学に進む。 NHK毎日コンクール賞、文化放送音楽賞など多数受賞。 渡辺暁雄指揮日本フィルはじめ、多くの国内オーケストラと共演。 来日中のサムソン・フランソワが日比谷でのショパン/リストの演奏を聴き、絶賛した。 ベルリン国立音楽学校に留学し、優秀な成績で卒業。以後、長年にわたりヨーロッパに在住、演奏家としてのキャリアを積む。 ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ・スコダに師事。その才能に注目したレナード・バーンスタインが彼女を支持。 さらに今世紀最大の一人といわれる作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに認められ、ソリストとして契約した。 ヨーロッパでの多くの演奏会はオーケストラとの共演もふくめて大成功をおさめ、輝かしい評価と栄光を獲得する。 1968年、すでにドイツの代表的新聞は「日本から“ピアニスト”が出た」「ショパンとリストを弾くために生まれてきたピアニスト」と報じている。 ドイツ・オーストリア・スウェーデンでの演奏収録番組は好評につき、たびたび放送された。 NHKが制作・放映したETV特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」は大反響を呼び、再、再々放送、そして続編へと続く。 徹底した動物愛護者でベジタリアン。 2000年1月17日、神戸で初めての演奏会を開き、この日の演奏料はすべて被災地の人々と生きものに捧げられた。 CDは「奇跡のカンパネラ」(ビクター)。「第14回日本ゴールドディスク大賞」受賞。 が、華々しく活躍していたこの時期、ウィーンでのリサイタル直前に耳がまったく聞こえなくなるという不運に遭遇。 すでに16歳で聴覚の半分は失っていたものの、このときは全てのコンサートをキャンセル。その後治療に専念し、片方が40%回復したのを機に演奏活動を再開する。 母の死をきっかけに1995年に帰国。 母校東京藝術大学・旧上野奏楽堂を再起の場に日本でのリサイタルを数回行ない、大反響を呼び、見事復活を果たす。 1999年、NHK教育テレビで、彼女のこれまでの半生が紹介され、多くの人々の感動を呼んだ。
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