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岩田榮吉画集


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岩田榮吉画集
1995年6月
定価 : 30,800 円 (本体 : 28,000 円)
ISBN 978-4-7630-9522-0 C0071
数量 


レンブラントは頭で描き、テルボルヒは技で描いたが、
フェルメールは心で描いている。
だから、私はフェルメールに傾倒している。


1949年の初期作品から1981年までの未発表作品と、水彩、デッサンの貴重な資料で展望する集大成画集。

著/岩田榮吉
文/加賀乙彦、他

280×270mm 上製本 216頁(カラー図版131点)

オフィシャルホームページ
岩田榮吉 OFFICIAL WEB ≫

◆岩田榮吉(いわたえいきち)
1929年(昭和4年) 1月27日、東京に生まれる。
 慶應義塾大学普通部・予科時代に中村新次郎氏に師事。
1948年(昭和23年) 慶應義塾大学工学部電気工学科入学。
1951年(昭和26年) 同校卒業。東京藝術大学美術学部油画科入学。
 同校在学中1〜3年は小磯良平教授、3〜4年は山口薫教授、伊藤廉教授に師事。この間に大橋賞を受賞。
1955年(昭和30年) 同校を主席で卒業。卒業制作「ナルシス」はSalon de Printemps賞を受賞。
1957年(昭和32年) 同校専攻科伊藤廉教室修了。同校油画科副手を拝名。アテネ・フランセ卒業。
 フランス政府給費留学生試験に合格。9月渡仏。パリ国立美術学校スーヴェルビー教室に学ぶ。
 『アトリエ』(6月号)に制作過程が掲載される。
1959年(昭和34年) 同校卒業。その間、国立エコール・デュ・ルーヴルにて美術史を学ぶ。
 渡仏後、高田力蔵氏より、長谷川潔氏を紹介され銅版画の手ほどきを受ける。
 氏より後継者にならないかと要請されたが辞退。以後、終生、氏に敬愛の念を抱き交流を結ぶ。
1960年(昭和35年) 画業の傍ら、パリ三菱商事株式会社にて翻訳の仕事に従事。
1961年(昭和36年) 西武フランス株式会社にスカウトされ、創立以来1981年の発病まで翻訳および通訳の仕事に従事。
1962年(昭和37年) この年より、ソシエテ・ナシオナルの会員になり、例年招待出品をする。
1963年(昭和38年) この年より例年、サロン・コンパレゾンならびにサロン・テール・ラティーヌに招待出品をする。
 この頃、パントル・ド・ラ・レアリテ(写実派)のグループ会長、アンリ・カディウ氏と出会い、同グループ会員となる。
1965年(昭和40年) この年より、サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン会員となり例年出品する。
 サロン・ドートンヌ、サロン・デュ・デッサンに出品する。
1969年(昭和44年) ソシエテ・ナシオナルのドロワ賞を受賞する。
1970年(昭和45年) 伊藤廉氏より愛知県立芸術大学に教師として就任を要請されるが辞退する。
 日本橋・三越にて第1回個展が開催される。
1971年(昭和46年) 『みづゑ』(1月号)に飯沢匡氏との対談が掲載される。
 『朝日ジャーナル』(3月26日号)の表紙として「十字架の人形」が掲載される。
1972年(昭和47年) 『みづゑ」(4月号)の《トロンプルイユ特集》に掲載される。
1973年(昭和48年) 東京藝術大学美術学部油画科、および創形芸術学校に非常勤講師として招かれる。
 寺田春弍氏より東京藝術大学に教師として就任を要請されるが辞退する。
1975年(昭和50年) ファルマン賞を受賞する。
 その他、フランスにて多数の美術展に出品する。
1977年(昭和52年) 銀座・東京セントラル絵画館にて第2回個展が開催される。
 『サンデー毎日』11月20日号)の〈サンデー美術館〉頁に「人形と角笛(トロンプルイユ)」が掲載される。
1978年(昭和53年) 9月に日本テレビ「美の世界」に出演する。
 その間、国際形象展、安井賞展、大橋記念展、東美青昭会展、明日への具象展、具象現代展、日仏現代展等に出品する。
 『L'Art Et Le Monde Moderne」(フランス・Larousse社刊)に「赤いジャケットの人形」が掲載される。
 『La Peinture En Trompe-L'OEil』(Dessain et Tolra社刊、アンリ・カディウ著)に「日本人形(トロンプルイユ)」が掲載される。
 その他、『枕頭問題集』(朝日出版社刊、ルイス・キャロル著、柳瀬尚紀訳)の表紙絵に「箪笥(トロンプルイユ)」
 『人形は語らない』(朝日出版社刊、北山修著)の表紙絵に「ピエロ人形」がなる。
 『演劇とは何か』(講談社刊・学術文庫、渡辺守章著)の表紙絵に「アルルカン」がなる。
1981年(昭和56年) 『中央公論』(10月号)の《パリの日本人画家達》に掲載される。
 8月、パリにて肺癌を発病、手術を受けて帰国。
1982年(昭和57年) 2月24日、川崎市立井田病院にて没。享年53歳。生涯清貧に甘んじて独身を貫く。
 東京芸術大学以来、岡鹿之助氏を敬慕し、渡仏後はフェルメールに終生傾倒していた。『みづゑ』(夏号)に《岩田榮吉追悼集》が
 掲載される。
1991年(平成3年) 『昭和の美術・第6巻』(毎日新聞社刊)に収録される。
1995年(平成7年) 銀座・東京セントラルアネックスにて岩田榮吉回顧展が開催される。
 求龍堂より『岩田榮吉画集』が刊行される。
 生活の友社刊『美術の窓』(7月号)、及び平凡社刊『太陽』(9月号)に回顧展の記事が掲載される。
 笠間日動美術館に「自画像」と「マヌカン(トロンプルイユ)」が寄贈される。
1996年(平成8年) 中村コレクションに「ぶどう酒と宝石箱」が収蔵される。
1997年(平成9年) 東京芸術大学所蔵名品展−創立110周年記念・卒業制作に見る近現代の美術(日本橋三越他)に「ナルシス」が出品
 され、図録の表紙カバーに同作品が使われる。
1999年(平成11年) 東京藝術大学大学美術館に油彩画6点「レンブラント風自画像」、「モンマルトルの眺め」、「謝肉祭」、
 「日本人形(トロンプルイユ)」、「屋根裏部屋」、「アルルカン(トロンプルイユ)」と、銅版画(ドライポイント)1点「ブルターニュの農家」、及び蔵書500冊が寄贈される。
 笠間日動美術館にパレットが寄贈される。
 『安井賞展40年史』(毎日新聞社刊、財団法人安井曾太郎記念会編)に第14回出品作品「赤いカーテン(トロンプルイユ)」、及び第15回
 出品作品「十字架の人形」が掲載される。
2000年(平成12年) 東京藝術大学大学美術館にて新収蔵品展が開催され、「日本人形(トロンプルイユ)」と
 「アルルカン(トロンプルイユ)」が展示される。同展のリーフレットに「日本人形(トロンプルイユ)」が使われる。
 横浜美術館に「白い帽子の自画像」、「赤いカーテン(トロンプルイユ)」、「ローソクを持つ少年」が寄贈される。
2001年(平成13年) 中村コレクションに銅版画「ブルターニュの農家」が寄贈される。
2002年(平成14年) 北御牧村立梅野記念絵画館・ふれあい館(長野県北佐久郡)に銅版画「ブルターニュの農家」が
 寄贈される。
 『油絵を解剖する−修復から見た日本洋画史』(日本放送出版協会刊、歌田眞介著)に本人の言葉、及び「謝肉祭」が掲載される。
 神奈川県立近代美術館に「グランマルニエの静物」、「モンマルトルの眺め」、「キアンチ」、「中庭にて」、銅版画「ブルターニュの農家」が
 寄贈される
 笠間日動美術館に銅版画「ブルターニュの農家」が寄贈される。
2003年(平成15年) 東京藝術大学大学美術館に油彩画1点と水彩画3点、グアッシュ1点、墨絵1点、及びデッサン3点が寄贈される。
 油彩画:「子供の情景」/水彩画:「フランスの田舎にて」、「北アフリカ風景」、「腰掛ける人形」/グアッシュ:「箪笥」/墨絵:「井戸のある風景」/デッサン:「坂道」、「オランダ風景」、「立った人形」
2005年(平成16年) 『20世紀美術への招待 美術ってなーに 大阪・国立国際美術館コレクション −セザンヌ、ピカソからウォーホル
 まで− 」展に「箪笥(トロンプルイユ)」が出品され、八代市立博物館、大分市美術館、岡山県立美術館を巡回する。
 東京藝術大学大学美術館のホームページ(http://www.geidai.ac.jp/museum/)に所蔵作品が掲載される。

年譜文責:武田春子