藤田嗣治も畏れた異才、55年振りの大回顧展
朗風君は恐ろしい将来を持つ日本画壇の一人であった
―藤田嗣治
2024年9月20日〜11月4日まで、島根県立美術館において開催する開館25周年オリジナル企画展「落合朗風 明朗美術連盟と目指した世界」の公式図録兼書籍。
落合朗風は大正〜昭和にかけて活躍した日本画家。院展では大正8年に出品した《エバ》で横山大観を感嘆させ、帝展、川端龍子の青龍社などで中心的活動に。その後、明朗美術連盟を川口春波と創設し、破竹の勢いで団体を成長させた。
1937年(昭和12年)に40歳(数え42歳)で病没。藤田嗣治に「朗風君は恐ろしい将来を持つ日本画壇の一人であった。何と言っても早く死なせたことは惜しんでも余りある」と言わせた才能の持ち主だが、早世により評価が定まっておらず、昨今注目されつつある。
父親の郷里・島根県の平田とゆかりが深い画家であり、朗風の画業と連盟を通して彼とその仲間が夢見ていた「日本画」の未来を考える。
編集/五味俊晶
B5判変型 並製本 256頁(図版339点)
【展覧会情報】
開館25周年オリジナル企画展「落合朗風 明朗美術連盟と目指した世界」
会場:島根県立美術館 ≫
会期:2024年9月20日(金)〜2024年11月4日(月)
※本書は本展の公式図録兼書籍です。
◆落合朗風(おちあいろうふう)
1896(明治29)年、東京に生まれるが、幼くして母を亡くし、島根県平田市の出身である父・常市の手で育てられる。
早くより画家を目指し、川端画学校に学び、平田市出身の日本画家小村大雲に師事した。
1916(大正5)年、文展に出品した《春なが》が初入選し、注目を集める。その3年後には院展に《エバ》を出品し、横山大観がその才能に感嘆した。
その後も様々な展覧会への出品を続けるが、画壇とそりが合わず、1934(昭和9)年、「明朗美術連盟」を設立する。
いよいよこれからであったが湿性肋膜炎を患い、1937(昭和12)年4月15日、40歳の若さで急逝した。
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