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横山大観筆「神州第一峰 右隻(半双)」 横山大観櫃「神州第一峰」 大観には山の絵が多い。その理由を聞かれると、彼は「山登りが好きで....」と答えたという。ただその山は、赤城や妙義であったり、箱根であったり、過去に見た山が渾然一体となって脳裏に現れ、それを恰好よく描くのだという。いわば記憶の中の愛すべき山である。 この方法はフェノロサの指導に発している。フェノロサは、絵画の真髄は古名画の精神に学べという。これはもともと、彼の信奉するヘーゲル美学に発している。ヘーゲルは「錯綜する現象世界に理念(精神の現実態)を直観せしめることこそ芸術の使命」という。ここから古名画の技法・構成などをすっかり記憶して後、何を表現しようとしているのか、その精神を我が物として後描く方法が生まれた。 東京美術学校初代教授橋本雅邦は、それを「心持」と言い換えて教えた。しかし学生にはなおピンと理解できず「心餅より餡コロ餅」などと混ぜ返す者もいた。しかしこの頃、明治35年、大観はアメリカの友人カーチスと立山に上り、雲海の彼方の富士に感動し、天心の写実を目的とせよとの方針転換に従って富士を写実的に描いている。その富士画はハーヴァード大学にあったが、今は寄託が解除され行方不明となっている。 昭和2年彼は、中国の宗元水墨画と大和絵(特に琳派)を融合して、民族的新境地を開拓するのがこれからの使命といっているが、東京美術学校の洋風教育に反発、また時局柄もあり、精神主義を打ち出す。「有形の物象を借りて無形の霊性を象徴する」というのがそれで、俄然富士山がアピールされる。 それも伊豆の達磨山から見た富士が、宝氷山が隠れて理想的形とされ、大観富士の原型となる。それは同時に国体の象徴であり、まつわる雲は暗雲低迷の時局を暗示し、旭日は悠久の未来を意味した。 そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。空は金泥に輝き、いま新しい朝が明けたのである。 細野正信(美術評論家) 原画仕様・体裁 ■六曲一双(屏風)■昭和7年(1932年)■紙本彩色■各164×361センチ 【作品名】「 神州第一峰 右隻(半双) 」 【作家名】横山大観 【技法】彩美版® シルクスクリーン併用 【限定】150部 【用紙】特製版画用紙 【画寸法】350 x 790mm(特25号) 【額寸法】584 × 1220 【額縁】特製木製額金泥仕上げ、アクリル付き 【付属】黄袋・布タトウ入り 【重量】約6.1 kg 【証明】奥付に著作権者印、限定番号入り 【原画所蔵】公益財団法人 足立美術館 【監修】横山隆(公益財団法人 横山大観記念館代表理事) 【解説】細野正信(美術評論家) ※額の変更はできません。 ※こちらの商品の発送はお申込みから約1ヶ月後の納品を予定しております。 [ 彩美版®とは ] 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル加工処理技術と高精度なプリントにより、原画の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが見事に表現されております。 「彩美版®」は共同印刷株式会社の登録商標です。 ◆横山大観(よこやまたいかん) 明治元年(1868年) 茨城県水戸市に生まれる。本名、秀麿。 明治22年(1889年) 東京美術学校に第一期生として入学。 明治26年(1893年) 東京美術学校絵画科を卒業。 明治29年(1896年) 東京美術学校図案科助教授となる。 明治31年(1898年) 美術学校騒動。校長岡倉天心らと共に辞職し、日本美術院創立に参画。 明治36年(1903年) 菱田春草らとインドに外遊する。 明治37年(1904年) 天心、春草らと渡米し、各地で作品を展覧。 明治38年(1905年) 米国より欧州に渡り、各国を周って帰国。 明治39年(1906年) 日本美術院が茨城県五浦に移転。春草、下村観山らと共に家族で同地に移住。 明治40年(1907年) 第一回文展開催に際し、審査委員を務める。 明治42年(1909年) 上野池之端に新居を構える。 明治43年(1910年) 寺崎広業らと中国へ旅行。 大正2年(1913年) 天心が死去し、観山らと共に日本美術院再興を計画。 大正3年(1914年) 東京・谷中に日本美術院を再興し、経営者・同人となる。再興第一回院展を開催。 昭和5年(1930年) ローマ日本美術展開催。美術使節としてイタリアに赴く。 昭和6年(1931年) 帝室技芸員となる。 昭和10年(1935年) 改組帝国美術院会員となる。 昭和12年(1937年) 第一回文化勲章を受章。帝国芸術院会員となる。 昭和18年(1943年) 「霊峰春色」を制作。 昭和33年(1958年) 逝去。享年89歳。正三位勲一等に叙せられ旭日大綬章を追贈される。 ※寸法、重量等は、天然材料を使用し一点ずつ手作りのため、表記と異なる場合があります。 ※上記オンラインショップ掲載写真等の無断転写、複製、転載およびインターネットでの無断使用を禁じます。 ご使用されているパソコンのモニターおよび携帯電話のメーカー・機種・画面設定等により、 実際の商品の色と異なって見える場合がございます。予めご了承の上、ご注文ください。
横山大観櫃「神州第一峰」 大観には山の絵が多い。その理由を聞かれると、彼は「山登りが好きで....」と答えたという。ただその山は、赤城や妙義であったり、箱根であったり、過去に見た山が渾然一体となって脳裏に現れ、それを恰好よく描くのだという。いわば記憶の中の愛すべき山である。 この方法はフェノロサの指導に発している。フェノロサは、絵画の真髄は古名画の精神に学べという。これはもともと、彼の信奉するヘーゲル美学に発している。ヘーゲルは「錯綜する現象世界に理念(精神の現実態)を直観せしめることこそ芸術の使命」という。ここから古名画の技法・構成などをすっかり記憶して後、何を表現しようとしているのか、その精神を我が物として後描く方法が生まれた。 東京美術学校初代教授橋本雅邦は、それを「心持」と言い換えて教えた。しかし学生にはなおピンと理解できず「心餅より餡コロ餅」などと混ぜ返す者もいた。しかしこの頃、明治35年、大観はアメリカの友人カーチスと立山に上り、雲海の彼方の富士に感動し、天心の写実を目的とせよとの方針転換に従って富士を写実的に描いている。その富士画はハーヴァード大学にあったが、今は寄託が解除され行方不明となっている。 昭和2年彼は、中国の宗元水墨画と大和絵(特に琳派)を融合して、民族的新境地を開拓するのがこれからの使命といっているが、東京美術学校の洋風教育に反発、また時局柄もあり、精神主義を打ち出す。「有形の物象を借りて無形の霊性を象徴する」というのがそれで、俄然富士山がアピールされる。 それも伊豆の達磨山から見た富士が、宝氷山が隠れて理想的形とされ、大観富士の原型となる。それは同時に国体の象徴であり、まつわる雲は暗雲低迷の時局を暗示し、旭日は悠久の未来を意味した。 そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。空は金泥に輝き、いま新しい朝が明けたのである。 細野正信(美術評論家) 原画仕様・体裁 ■六曲一双(屏風)■昭和7年(1932年)■紙本彩色■各164×361センチ
【作品名】「 神州第一峰 右隻(半双) 」 【作家名】横山大観 【技法】彩美版® シルクスクリーン併用 【限定】150部 【用紙】特製版画用紙 【画寸法】350 x 790mm(特25号) 【額寸法】584 × 1220 【額縁】特製木製額金泥仕上げ、アクリル付き 【付属】黄袋・布タトウ入り 【重量】約6.1 kg 【証明】奥付に著作権者印、限定番号入り 【原画所蔵】公益財団法人 足立美術館 【監修】横山隆(公益財団法人 横山大観記念館代表理事) 【解説】細野正信(美術評論家) ※額の変更はできません。 ※こちらの商品の発送はお申込みから約1ヶ月後の納品を予定しております。
横山大観 「神州第一峰 左隻(半双)」【限定150部】
275,000円(本体250,000円)
横山大観 「霊峰春色」【限定200部】
大観邸 画業と暮らしと交流 (展覧会公式カタログ)
ISBN 978-4-7630-1902-8 C0071
2,750円(本体2,500円)
横山大観の富士 (展覧会公式カタログ)
ISBN 978-4-7630-1514-3 C0071
1,650円(本体1,500円)
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